町山智浩氏が熱い件について
売春窟に生まれついて→未来を写した子どもたち – ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記
熱いな。書きながら次第に熱くなっているんじゃないかって印象。
本質論を語るとすれば、氏のいうことは確かなんだろうね。
でも、映画も商売である以上、その本質論とは関係なく目先の需給関係でその立ち位置は決まる。それは「映画」の本質とはかけ離れていても、商品が辿る道としては当然のこと。それが例え映画であっても。
つか、映画がエンターテイメントとしての価値を持っている限り、本質から離れた目先の需給関係で揺れ動く商品としての側面が大きくなるのは当然だと思うけど。石鹸やらタオルみたいな日常品なんてのは、本質から離れたところからは商品として存在しづらいし。
マーケティング的な視点から言ってしまえば、映画が常に彼が語るように語られていくためには、コモディティ化していかなくちゃいけない。でも、自宅で寝転がりながら、しかもタダで観られるテレビですら、本質とは別の当面の需給関係、つまり短絡的刺激だけで動くわけで。エンターテイメントとしての枠は超えられないわけよ。
ということは、逆に単なるエンターテイメントから脱皮して、芸術の枠に押し込めてしまうべきか?いや、ムリだろうね。ある映画が芸術であったとしても、映画全てが芸術にはなり得ないし。やっぱエンターテイメントなわけよ。ある意味、娯楽と共に歩み続けたのが映画なわけよ。
ん?ということは、映画の本質は、娯楽?つまり、氏が語るようなところに今の映画業界があって欲しいと望むこと自体が逆に妄想に近い欲望であって、氏が嘆く様な状況にある今の状況が映画の持つ本質なのでは?
う~ん・・・考えるのが面倒になってきた。
いずれにせよ、町山氏の語るような硬派な部分は映画の質の向上を求めるには重要であり、またその様な欲望が中核部を占めていなければ、映画は衰退の一途を辿らざるを得ないんじゃないですかね。目先の需給関係で踊っていたら、糸の切れた凧の様に風に流されて宛てもなく彷徨い続け、終いには墜落してしまうわけで。
個人的な意見としては、町山氏の様に熱く語れる人は必要だと思うので、東京の片隅から彼の活躍を今後とも期待したいところです。
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post by ノリユキ at 16:14 | Comments/Trackbacks(0)








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