この国の限りなき不透明な教育(航空幕僚長の更迭から、ふと思う)

一般的な組織以上に、戦闘を主たる業務とする組織の場合、上位下達は至上命題です。組織内での一貫した行動の統一性が失われることは、全体の勝敗を左右するばかりでなく、一個人の命すら危険に曝されるわけですから。ましてや日本の場合、過去の歴史の教訓からシビリアンコントロールは、対面的にもかなりシビアにならないと。

ところが、この有様です。

個人としての主義主張はあって然るべきですが、空幕長という立場の人間が政府見解と異なる主張を論文という形で公にしたと言うのは、明らかに問題です。確信犯じゃねーか、っていう意見は沸いてきて当然で、マトモな感覚であれば自身の主張は立場の上から控えるはず。ちょっと異常事態なのかな、って気もしてきます。

ところで、この話を耳にした私は、じゃあ日本の教育はどうなんだ?ってふと思ったわけで。日本の教育における国の方針と、教育を行なう立場の人間・組織の行動、さらには実際の教育現場で行なわれている実情には、差異がある様な。

日本って資本主義であり民主主義の国です。競争の原理が根底にある社会なわけです。が、なぜ「過度な競争を避ける」という名目で教育の現場では、どう考えても過度とは思えない競争を回避しようとする傾向があるんでしょ?運動会の徒競走で順位をつけることやテストの点を公表するとかって、過度な競争なんですかね?冗談にしては、寒すぎるんですけど。

現実問題として、競争社会に対して様々な形で対応できる人間を育てることが必要なのであって、競争に目を伏せるのが教育なのか?と思いますが。競争を避けて育った子供達が、競争の原理で成立する社会にいきなり放り込まれるのは、ある種いじめにも近い気がしますが。

確かにね、国の意思がそのまま国民の教育とイコールになるのは、危険な部分もありますよ。でも、じゃあ教育に携わる人間のそれぞれの意思で教育していくのもどうかと思いますけどね。

どっかの国交省大臣が、「日教組をぶっ壊す」類の発言を繰り返して、まあその他色々な問題を含めて辞任しました。その神経もわかりませんけど、その大臣が言ってた日教組をぶっ壊す的な気持ちは、わからなくもありません。もちろん、この大臣の日教組論に全て同意するつもりで言ってるわけじゃありませんが。

まあ、こんなサイト作ってるくらいですからね。

「親子で学ぶおもしろ算数教室」日本教職員組合ホームページより

算数を教えたいのか、自分らの政治的主張を子供達に植え付けたいのか、ハッキリしてもらいたいもんです。「やり方が汚くねーか?」と言われても仕方がないでしょ、こんなやり方してたら。彼らには、こういったやり口を改めさせることのできる教育が必要なのかもしれません。

私たちの多くは、日本の明治維新くらいまでしか、歴史を授業で習ってません。毎年毎年どのクラスでも、「時間が足りない」という理由でもって、明治維新くらいまでの歴史しか教えられない。いわゆる戦前戦後付近の歴史は、教育の現場からは隠蔽されて続けてきてたわけです。

どーなんですかね?自分らの国の歴史すら、胸を張って教えられない日本の教育ってのは。一体この国の教育は、私たちに何を教え何を学んでもらおうとしているんでしょうか?

国として教育の理念とかビジョンとかあっても、それを具体化していく作業が全く抜け落ちてる。企業で言えば、理念やビジョンに基づいてそれを具体的な戦略へ、そして戦術へと落とし込めなきゃ、それはダメダメ君なわけです。「健康な食生活を提供したい!」と立派な理念を掲げてるくせに、実際店で売ってるのは揚げ物やらステーキ肉やら着色料バリバリ食品やら、まあ有機野菜もあるにはあるけどね、みたいな。それと似たようなもんでしょ、日本の教育って。

政治家にしろ政府にしろ政党にしろ教育者にしろ、それぞれの見解や主義主張が違うのは、別にいいんですよ。でも、ハッキリとした結論も方針もなく、不透明な教育を受けさせられる人間は、たまったもんじゃありません。てめーらの主張の間で振り回されることが、この国の教育なら、この日本で生まれた私たちは不幸であると言わざるを得ません。

まあ、そんな風に息を荒くして語ってる割には、「玉虫色の教育も日本らしくて悪くねーんじゃねぇか」って思ってる私がいるんですけどね。(ピース)


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post by ノリユキ at 14:26 | Comments/Trackbacks(0)



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