正社員のクビを切りやすくする法制度改革の提案に、物思う

週刊 ダイヤモンド 2008年 2/9号 [雑誌]の冒頭にある「プリズム『改革の本丸は何か』(著作:辻広雅文)」とか言うコラム。それを電車の吊り革に掴まりながら読んで、ちょっと物思いにふけりました。

このコラムの要旨は、「正社員のクビを切りやすくする法制度改革」の提案です。

格差社会の中で最も深刻なのは、正社員と非正社員の処遇格差だろう。(中略)であれば、正社員の整理解雇を容易にする労働法制の大転換は考えられないか。(中略)労働市場が流動化すれば、人材の最適配分が進み、再挑戦の場も広がり、社会全体の生産性が高まるからだ。

週刊 ダイヤモンド 2008年 2/9号 [雑誌]P.7「プリズム」より抜粋

ん・・・まさに新自由主義的発想ですか。ただ、その言に頷くと同時に、素直に頷けない。

確かに、正社員の整理解雇が簡単に行えるようになれば、労働市場は流動化するでしょう。そういった点から言えば、この著者の提案には頷く余地はあります。

でも、そうは問屋が卸さねぇ。

労働市場の流動化に伴って、適材適所にありつける人間なんて、一握りにしか過ぎないんじゃないか?って、そう思うわけです。結局労働市場における労働力の均一な分配化なんてあり得ないわけで。誰かが意図的に調整してかないと、余計に格差を広めちゃう原因にもなりかねないってば、マジで。

ダーウィニズム的な発想を賛美するのは構いませんが、それはとどのつまり淘汰される人間が出てくるってこと。

よ~く考えてみてください。

たった1度か数度の面接と履歴書、それとペーパーテストで、就業希望者の能力と秘められた才能を、人事担当者は完璧に見抜けるんですか?いや、求人だけじゃなく、現に社内で働いてる人の適材適所を人事部は完璧にこなせてるんでしょうか?出来てないでしょ、マジで。

仮に、人事担当者がそれを完璧に見抜けるもんだとしましょうか。でも、キャパってもんがあるでしょ。例えば能力Aを必要とする業界および分野が抱え込める人員数が10,000人が上限だとして、でもその能力Aを持つ人は現実に12,000人いたとしたら?2,000人はその能力を活かしきれずに溢れちゃうでしょ。で、結局は能力のない分野で雑魚として働くことになる。もしくは職にありつけない・・・

結局、淘汰される人間を増やしかねない結果にならないか。格差の助長になりかねないわけです。もっとベーシックな部分を見つめなおしていかないと、大きな過ちを犯しそうな気がします。今、酔っ払っているせいかもしれませんが。

かといって、このコラムにある主張にも絶対反対ってわけじゃない自分がいます。まぁ事の論点は、労働市場の流動化を促進すると共に、資源配分の調整をセーフティーネットも含めた上で行える仕組みを確立する必要があるってことでしょうか。

と、ここまで書いて気がつきましたが、意外とありきたりな結論に結びつきかけようとしている自分に気がつきました。ま、いっか。芋焼酎飲んでちょっといい気分になってることだし。


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post by ノリユキ at 03:21 | Comments/Trackbacks(0)



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