オサマ・ビンラディンの殺害にはしゃぐ姿に感じた違和感
既知の通り、5月1日に国際テロ組織アルカイダ指導者のオサマ・ビンラディンが米国軍によって殺害されました(ビンラディン容疑者、米軍の作戦で死亡 大統領が発表:CNN co.jp)が、この発表を受けたニューヨーク市民がはしゃいでる姿がいくつか報道されていました。
ビンラディン容疑者死亡、ワシントンやNYで市民が歓喜:REUTERS
で、それらの報道を目にして私は、彼らのはしゃぐ姿に違和感を覚えました。もちろん、アメリカ市民の皆がこの様な反応だとは思いませんが、それにしてもあの時の様子を映像で見てしまうと、かなりの違和感を感じます。そして一応、私の周辺の話やネットでの記事なんかを見る限りだと、この感覚って恐らく自分だけでなく多くの日本人が感じたんじゃないかと思います。
どうも人の死に対して喚起の声をあげる姿って、想定できないんですよねぇ。その様な光景を目の当たりにすると違和感を感じます。確かにビンラディンはアメリカにとって大罪人なんですが、だからといって大罪人が殺害された報に、果たして私達日本人はあの様にはしゃぐことができるんでしょうか?
自分の身内を殺した相手が殺されたとしたら、「ざまあ見ろ」くらいには思うかもしれませんが、それでも安堵の表情を浮かべるか涙を流すかする程度であって、喚起の声をあげるって、ちょっと想像しがたいんです。例えば、死刑が決まった時の被害者の遺族とか色々と報道されてますけど、万歳三唱みたいなのしてたのを見た記憶ってないですし。
私を含む多くの日本人にとって、憎むべき相手の死は悲しみの対象にはならないでしょうけど、それとは別に「人の死」そのものに対する別な感情が私達にはあって、それが畏怖の念なのかどうかは定かではないにしても、“死”そのものに対して喜びの感情を大きく表すのは不謹慎に感じるというか、それ以上にその気にはなれないというか、厳粛に受け止めてしまうというか、とにかくはしゃぐ気にはなれないんですよ。これって、日本人の死生観に関係しているのでしょうかね?
しかし、「じゃあ、他の国(特に米国)や民族の死生観では、憎むべき人の死は喜びの対象となり得るのか?愛憎に関係なく人の死そのものを厳粛に受け止めるという観念はないのか?」と考えてみると、やっぱそうでもなさそです。どの宗教でもどの国の倫理観でも、“死”そのものは厳粛に受け止められてますし、それは愛憎を越えたところでも機能していると思うんですよね。自然な感情として。
ですから、もっと別なところにこの違和感を持つ原因があるんじゃないかと。
で、ふと気になったのが、戦争時における人間の倫理観。そして、政治心理学者のアシス・ナンディ氏が言っていた「暴力は人間性の一部かもしれないが、戦争は違う。戦争は制度化された手段として人類の本性に潜む暴力性を操っている」という言葉です。
日本人や一個人としてではなく、社会の仕組みの中で生きる人間として考えてみると、そこには平時と戦時では倫理が逆転してしまうという現実があります。平時では人を殺すことはいけないことだと教えられ、殺してしまえば犯罪者となりますが、戦時では人の殺し方を教えられ、より多くの敵を殺した者は英雄となります。平時での人の死は悲しみの対象ですが、戦時における敵の、しかも敵側のリーダーや象徴的存在の死であれば、それは即ち自分達の勝利の証であり、喚起の対象ともなり得るわけです。
そういった意味で考えるならば、今回のビンラディン殺害に対して米国の喚起の声が湧き上がるというのも、幾分かの理解は出来るような気がします。「対テロ」ということ事態が、戦争状態を意味しているということです。一見、平時としか映らないアメリカ本土の日常においても、やはりアメリカ市民の心の中には9.11以降、戦時の感情が色濃く混在していたということなのでしょう。
となれば、そんな光景に対して私達日本人が感じる違和感とは、日本人固有の死生観ということではなく、戦争やテロが遠い存在であり現実のものとして今ひとつ受け止め切れていないという証なのかもしれません。
果たしてそれが幸せなことなのか危機的なことなのかはまた別の話ですが。
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post by ノリユキ at 11:04 | Comments/Trackbacks(2)








こんばんは、お久し振りです。
5年前のオフ会に参加しました佐伯と申します。
以前、「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」という映画を観て感じた違和感と似ていると思いました。
敵をやっつけて喜ぶアメリカ人・・・。
アメリカには旅行ですら行ったことがないので、国民性の違いであるのかも分かりませんが。
震災以降、人の死に敏感になっている自分には、理解できないですねぇ。
コメント by 佐伯 美佳 at 2011.05.19@23:32:04
おぉ!佐伯さん、お久しぶりです。
確かに、震災以降の私達は人の死に対して敏感になってますから、余計そう感じてしまうんでしょうねぇ。
今度その映画、DVDでも借りて観てみます。
コメント by ノリユキ at 2011.05.20@1:20:49