2009/07/19(日) [ IT・Web | entertainment ]
ここしばらくの間、首から背中にかけて痛みが走りっぱなしなので、安静をとって出来るだけパソコンとかをいじらない様にしてましたが、今日はちょっとだけ楽ちんなので、久々に更新。
で、しょこたん☆ぶろぐが先日、アメブロに移転しました。エキサイトの「ファンサービス」のサービス停止に伴いお引越しだそうです。
しかし、アメブロの有名人ブログ・ランキングでマトモに競いもしないうちから、既に殿堂入りとは、さすがしょこたんです。しょこたんのあの大量のエントリーに、アメブロの水増しPVが加わってしまうと、天文学数字なPVが叩き出されてしまい、どんなタレントブログも太刀打ちできないということなんでしょうか?きっとそう。そんな気がする。
ところで、アメブロの有名人ブログ・ランキングでは、並みいる芸能人を抑え、「あいのり」のやまじと桃が10位以内にランクインしてるところが、素敵です。なんか首の辺りがこそばゆいと言うか。もちろん、そうは言いつつも、ちゃっかり彼女らのブログをチェックしてしまった私も、素敵ですが。
ちなみに、しょこたんもTwitterをはじめたそうですが、毎日大量に更新されるブログとの兼ね合いはどうするつもりなんだろ?と思って、しょこたんのTwitter覗いてみたら、単にブログの更新情報をtwitterfeedで飛ばしてるだけでした。ちょっと期待はずれ。今後に期待。
post by ノリユキ at 18:21 | Comments/Trackbacks(0)
2009/04/27(月) [ entertainment | society ]
あるモノゴトに対する反応は、人それぞれです。性別や年齢、環境や経験により、その感じ方は違ってきます。もちろん、人の行為に対してそれを許容できるかどうかも、人それぞれ。人によって許容量には違いがあると思いますし、仮にそれが「Aさん > Bさん」であっても、Bさんには許容できてもAさんには許容できないというケースもあり、何が許容できて出来ないかというのは、その人の器とは別に、例えば感受性とか主義や趣向によっても違ってくるんじゃないかと。
今回話題になった草彅剛さんの事件においても同様で、許容できる人と出来ない人とに別れているようです。もちろん、どちらの感覚が正しくて、どちらの判断が間違っているということではなく、単に人には色んな受け止め方があるんだなと。これって、例えばその現場に遭遇したときに、笑って済ませられるか傷ついてしまうかという差が、許容できるできないの差になってしまうのかな、なんて思ってもしまうわけで。私の場合は、草彅さんの件は十分許容できる範囲内ですし、大々的な報道ぶりには多少の同情もあります。自分も下手すりゃ似たようなことするかもしれない・・・なんて思っちゃうし。
もちろん、同情できるからといってそれを許して良いという論には繋がりませんが。ルール違反はルール違反ですから、その部分ではきちんとするべきですし、まあするんでしょうけど。
で、面白い記事を見つけました。
レースクイーンの立木ゆりあさん 「草なぎ剛まじウケる。1人で深夜にフルチンで韓国語で叫んで歌って警察官が来たら逆ギレで暴れるとかソレ完璧キチガイでしょwww」:Birth of Blues
タレントの立木ゆりあさんの場合、草彅さんの行為が許容できなかったらしく、内容からすると批判というより非難っぽいことを書いてしまったみたい。彼女のブログでは、既にその記事は削除されており、今は代わりに、不謹慎な発言をしたことに対する謝罪の言葉の記事があり、また彼女を擁護・応援するコメントと、それに対する彼女の感謝の言葉が残っているだけです。(ちなみに私は、該当する彼女の記事が削除されてしまっていて現物を確認できませんでしたので、上記リンク先の記事で引用されている文章が現物と同一だと仮定してお話しています)
で、私がなぜこのことをこのブログで採り上げたかというと、おもしろいなーと思ったからです。で、何がおもしろいなーと思ったかというと、ここで現れている草彅剛さんと立木ゆりあさんの一連の事態が、構造上ほとんど同じだということに、ふと気がついたからです。
草彅さんは、酔っ払って記憶を失い、公衆の面前で一部の人が不快になるような行為をしてしまいました。それに対しては社会的な制裁が与えられ、本人も反省している様子です。そして、ファンや周りの人からは励ましや同情の言葉をもらい、恐らく本人もその気持ちに感謝しているんじゃないかと。
で、立木さんは、そんな草彅さんの行為が許せなかったらしく、ブログという不特定多数が閲覧できる環境、つまり公衆の面前で一部の人が不快になるような行為をしてしまいました。それに対しては、恐らく周囲人から注意は受けたんでしょうし、その記事の削除と謝罪という社会的な対応を迫られ、そしてそんな彼女に対してファンなどから励ましや同情の言葉をブログのコメントとしてもらい、その気持ちに対して本人は感謝の意をブログで述べています。
表層上は違った行為であっても、その構造は面白いように一致しています。つまり立木さんは草彅さんの一連の行為に反応して拒絶しているにもかかわらず、まるっきり同じ構造を構築してしまっているわけです。まるで彼女は彼を映し鏡にしてしまったかの様。
歴史は繰り返すとは良く言ったもんだ。人って意識するしないにかかわらず、同じ様なことを繰り返すんですねぇ・・・
結局何が言いたいかというと、まあ自分も含めて人ってみんな至らないところとか弱いところがあるわけで、そういった自分を知ることで、少しは人に優しくなれるんじゃねーかなって思いました。あ、そんな結論は小学生並みの意見ですか、そうですか。失礼しました。
post by ノリユキ at 13:42 | Comments/Trackbacks(0)
2009/04/24(金) [ entertainment ]
昨日の午前中から、SMAPの草彅剛が公然わいせつの容疑で逮捕されたという報道で持ちきりです。テレビの速報で流れたときは、正直驚きましたね。テレビで「草彅容疑者が・・・」って報道されると、何だから物々しいというか、凶悪犯罪だとか巨額詐欺事件を犯したかの様なイメージを一瞬感じてしまって振り向いてしまいます。でも、聞けば酔っ払って脱いで騒いじゃったって話で、ちょっとだけ拍子抜け。報道って、怖い怖い。
しかし何よりも驚いているのは、ネットのニュースを見ると草彅の「なぎ」がほぼ平仮名表記の記事ばっかりだということですかね。しかもご丁寧に、『なぎは弓ヘンに「剪」』という注釈まで記事には付いてたりします。MACは知りませんが、Windowsじゃ「草彅」って単純には変換できないみたい。日本を代表するアイドルに対して、マイクロソフトは一体何をやっているんでしょうか?
ところで、有名人というのは大変ですねぇ。確かに法律に触れたと言えばその通りなんでしょうが、その辺の若者なら笑い話で済んでるでしょうし、大人でも普通のサラリーマンなら上司に「バカヤロー」と軽く小突かれて、これまた笑って済ませられる程度の話です。下手すりゃ武勇伝くらいにしちゃう人もいるし。でもタレントさん、ことに超有名人であれば、そうはいかない様です。公共性という文字を背中に背負ってますから。
一般のビジネス・パーソンと比べるとすれば、多分彼がやったことって、顧客の目の前で全裸になって奇声を発したのと一緒なんでしょうね。それをやっちゃったら、やっぱり一般人でも笑って済ませる話じゃなくなりますし。あー、いや、それ以上か。CM打ち切りとかありますから、大きな損害を被った企業なんかもありますからねぇ・・・
しかしまあ、他人のことは厳しく怒るのに、身内には甘いことってあります。地デジ推進のキャラクターだった彼が逮捕されてしまったので鳩山総務相は「最低の人間」などといってカンカンの様ですが、中川前財務相が国際舞台の席上でやったあのヘロヘロ会見に対しては、同じ様に怒れないみたい。さっきテレビの「とくダネ!」で小倉氏がそれを言ってて思わず笑ってしまいました。
兎にも角にも、草彅さんには反省して今後も頑張ってもらいたいものですが、それ以上にマイクロソフトさんにはいち早く「草彅」の「なぎ」が簡単に変換できる様に頑張ってもらいたいものです。
post by ノリユキ at 09:34 | Comments/Trackbacks(0)
2008/11/04(火) [ entertainment ]
何もないところからコツコツと作っていくのと違って、金持ってから何か新しいことを始めちゃうと、金使うところから始まって金使ったところで終わってしまいがち。ビジネスとは言えないんだな、これが。
小室哲哉容疑者:5億円詐取で逮捕 容疑認める--大阪地検 - 毎日jp毎日新聞
まあ、ホリエモンが捕まった時もそうでしたが、気になったのはテレビとかのマスメディアが、
「時代の寵児と持て囃された小室プロデューサーが・・・」
とか言ってるくだり。
持て囃された、って持て囃してたのはアンタたちでしょうが、と思うんですが。正確に内容を伝えようとするならば、
「時代の寵児と私たちが持て囃していた小室プロデューサーが・・・」
となるべきじゃないかと。持て囃してた本人が、まるで第三者の様に振舞うところが、マスコミ魂と言うかエクセレント。
post by ノリユキ at 23:00 | Comments/Trackbacks(0)
2008/09/20(土) [ entertainment ]
売春窟に生まれついて→未来を写した子どもたち - ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記
熱いな。書きながら次第に熱くなっているんじゃないかって印象。
本質論を語るとすれば、氏のいうことは確かなんだろうね。
でも、映画も商売である以上、その本質論とは関係なく目先の需給関係でその立ち位置は決まる。それは「映画」の本質とはかけ離れていても、商品が辿る道としては当然のこと。それが例え映画であっても。
つか、映画がエンターテイメントとしての価値を持っている限り、本質から離れた目先の需給関係で揺れ動く商品としての側面が大きくなるのは当然だと思うけど。石鹸やらタオルみたいな日常品なんてのは、本質から離れたところからは商品として存在しづらいし。
マーケティング的な視点から言ってしまえば、映画が常に彼が語るように語られていくためには、コモディティ化していかなくちゃいけない。でも、自宅で寝転がりながら、しかもタダで観られるテレビですら、本質とは別の当面の需給関係、つまり短絡的刺激だけで動くわけで。エンターテイメントとしての枠は超えられないわけよ。
ということは、逆に単なるエンターテイメントから脱皮して、芸術の枠に押し込めてしまうべきか?いや、ムリだろうね。ある映画が芸術であったとしても、映画全てが芸術にはなり得ないし。やっぱエンターテイメントなわけよ。ある意味、娯楽と共に歩み続けたのが映画なわけよ。
ん?ということは、映画の本質は、娯楽?つまり、氏が語るようなところに今の映画業界があって欲しいと望むこと自体が逆に妄想に近い欲望であって、氏が嘆く様な状況にある今の状況が映画の持つ本質なのでは?
う~ん・・・考えるのが面倒になってきた。
いずれにせよ、町山氏の語るような硬派な部分は映画の質の向上を求めるには重要であり、またその様な欲望が中核部を占めていなければ、映画は衰退の一途を辿らざるを得ないんじゃないですかね。目先の需給関係で踊っていたら、糸の切れた凧の様に風に流されて宛てもなく彷徨い続け、終いには墜落してしまうわけで。
個人的な意見としては、町山氏の様に熱く語れる人は必要だと思うので、東京の片隅から彼の活躍を今後とも期待したいところです。
post by ノリユキ at 16:14 | Comments/Trackbacks(0)